この場所の名前、「ゆずり葉の木」の由来を紹介したいと思います。
河井酔茗という方が「ゆずり葉」という題で、一遍の詩を書かれています。
「ゆずり葉」
子供たちよ
これはゆずり葉の木です
このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入り代わって古い葉が落ちてしまうのです
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずって…
子供たちよ
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものたちがお前たちにゆずられるのです
太陽のめぐるかぎり
ゆずられるものは絶えません
かがやける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです
読みきれないほどの書物も
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど…
世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない
みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを
一生懸命に造っています
今、お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる
鳥のようにうたい、花のように笑ってる間に
気が付いてきます
そしたら子供たちよ
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見るときが来るでしょう
今、80を過ぎた祖父と、親父、僕の3世代でこの場所に関わっています。
この詩のような想いでここを育てていきたいとおもい、この庭を「ゆずり葉の木」と名付けました。
ちょうどいい機会なので、この場所を担当させてもらっている僕の紹介もついでに簡単に書きたいと思います。
僕は、東京農業大学の造園科学科を卒業し、卒業後の一年間、ドイツのAachenという街の造園会社で働いていました。そして、今年の3月末に帰国し、現在はこのゆずり葉の木に手を入れる毎日を送っています。
大学で4年間造園を学び、一年海外に出てみて、今、庭のある暮らし(生き方)の価値、面白さをすごく感じています。庭を通して感じる自然や植物の強さ、美しさ、はかなさ、そして恐さ…そんな自然から感じる感覚を大切にしながら生きていく暮らしにとても興味があります。
このゆずり葉の木が形になってくるのはまだまだ5年、10年と長い年月がかかりますが、将来はこの庭を通して、自分なりに庭のある暮らしを提案していきたいと思います。
まだまだ、今の僕には何もありません。
毎日が悪戦苦闘です。
そんな格闘も含めて、ゆずり葉の木の日々の姿を伝えていきたいと思います。